インディペンデンツのOBには、インディの理念である「文武両道」を実践している選手も多数います。OBからもらったコメントをご紹介させて頂きます。
小学校時代は少年野球チームに所属していましたが、当時少年野球の監督をされていた杉山コーチに声をかけていただき、中学1年から3年までの3年間、インディペンデンツでプレーしました。同時に、通っていた東京都市大学付属中学校では硬式テニス部にも所属しており、学校の部活動、野球、そして勉強を同時に取り組む日々を送りました。私のインディペンデンツでの野球は、コロナ禍のオンラインミーティングから始まりました。練習が再開されてからは、贅沢な練習環境と、常に選手第一に考えてくれるコーチ陣に支えられながら、充実した時間を過ごしました。水曜スプリントやロングライドにも参加し、体力面・精神面ともに鍛えられると同時に、個々の主体性を重んじる環境の中で自分と向き合い続ける経験ができました。定期テストでも成績を保ち、インディペンデンツの理念の一つである文武両道を自分なりに実践できたことは自信につながりました。仲間と切磋琢磨しながら、効率を意識した時間の使い方、そして努力の積み重ねの大切さを学びました。
中学3年の12月、父の仕事の都合でアメリカ・サンディエゴへ転居することになり、Torrey Pines High Schoolに編入しました。
通っていた高校はカリフォルニア有数の公立の進学校でありながら、スポーツにおいても高いレベルを誇る学校で、多くの部活動が州大会レベル、または全米レベルで競い合っています。野球チームも例外ではなく、大学スカウトが頻繁に訪れ、球場のフェンスには優勝した年度と共に、MLBに進んだOBの名前が並び、圧倒されるばかりでした。
転校して間もない中、まだ不完全な英語で「トライアウトはいつですか?」とコーチに聞いたことを今でも覚えています。幸いにもJunior Varsity(JV)チームに入部し、アメリカでの野球生活が始まりました。アメリカの高校野球は、フレッシュマン(Freshman)、JV、バージティ(Varsity) の3段階に分かれており、特にバージティは非常にレベルが高く、結果がすべての世界でした。
アメリカの野球文化は、私にとってカルチャーショックの連続でした。たとえば、試合中にはコーチが選手たちにひまわりの種やガム、スナック菓子を配り、ベンチの中ではリラックスした雰囲気の中で試合に臨む様子が印象的でした。また、選手の打率・出塁率・守備率などの成績(statistics) がアプリを通じてチーム全員とスカウトと共有されており、努力量ではなく成績に基づいた選手起用が徹底されていました。さらに、試合がある日は学校公認で授業を早退するのが当たり前で、学生アスリートとしての活動が制度としてしっかり支えられていました。
私は主に外野手として出場し、特にピッチングのレベルの高さに苦戦しました。JVでも130キロ台(75〜85マイル)、バージティでは150キロ近い(90マイル超)球速で投げる投手も珍しくなく、打撃面では常に対応力が試されました。
最大の課題は、野球と学業の両立でした。授業は午後3時25分に終了しますが、試合日はアウェイの場合12時半にはバスに乗る必要があり、ホームでも1時半に集合してグラウンド整備・準備を行います。午後の授業を頻繁に欠席することになり、常に勉強の遅れを取り戻す努力が必要でした。アメリカでは評定平均(GPA)が大学進学に大きく影響するため、限られた時間をどう使うかが重要でした。授業に集中し、練習・試合後はすぐに勉強に取りかかるなど、時間の使い方に対する意識が大きく変わりました。
12年生の初期には大学出願を行い、2025年秋からはカリフォルニア大学バークレー校(UC Berkeley)への進学を予定しています。専攻は化学工学(Chemical Engineering) で、将来は薬学またはエネルギー分野に携わりたいと考えています。アメリカの大学スポーツは基本的にスポーツ推薦で入学した学生のみのため、私の野球生活は高校で一区切りを迎えました。寂しさもありますが、ここまで支えてくれた仲間や家族、コーチへの感謝の気持ちを忘れず、自分にしかできない経験を積んできたことに誇りを持っています。
中学・高校を通じて、私は「文武両道」の難しさと面白さを身をもって学びました。そして、「自分に合うかどうか」ではなく「まずやってみること」の大切さを実感しました。アメリカという新しい環境でも、短い時間で最大限成長することを目指すインディペンデンツの精神が、今の自分の基盤となっています。これからも新たな挑戦を恐れず、自分の可能性を信じて前に進んでいきたいと思います。